「武道精神 その2」
②死生を乗り越え
大山総裁は「生と死こそは、誰にとっても人生の究極の問題である。人生の究極を知ることこそ、剣を学ぶ者、空手を学ぶ者の根本の目的である。」と。
日本武道は一言にして言えば、生死を解脱し、人間を縛る生と死の絶対事実から自分を解き放つ道なのである。
剣聖 山岡鉄舟は「剣の極意を極めるには、生への執着を断ち切ることが、何よりも重大である。」と門人に教えていた。
すべて生命あるものには、生きることへの執着がある。あって当然の本能である。
生の終わり、最大の恐怖である「死」を乗り越えるところに武道があり、禅がある。
「勝敗の世界に身を置いて、勝敗を超え、生死の境に身を置いて、生死を絶する」これぞ禅の境地である。
では「禅」とは何か。そもそも日本の武道は、その究極の姿において、単に勝敗を争う闘争の道ではなく、勝敗の世界にありながら、勝敗を超える人の道である。これは武の字の下に道の字が続くことで合点がいくことである。
極真カラテもまた然り。すなわち真を極める。追求は全て、この生死の超越にかかっている。誤解されては困るが「いつでも死ねる心を持て」などと、軽々しい英雄主義を説いているのではなく、「あくまでも強く、雄々しく生き抜くため、この世のケチくさい束縛から自分を解放せよ」要は、これが絶対です。